自己肯定感が低い理由と高める方法

フィンランドの教育はなぜ世界一なのか

自己肯定感を高めたい、性格を変えたい、
引き締まった身体になりたい、姿勢を良くしたい、
体が快適な状態でありたいという方は多いと思います。

私もそうです。

恥ずかしながら、20代の頃、自分の性格は親のせいだと思っていました。
でも、これは親だけでなく、日本の教育など構造的な問題もあるようです。

日本での子育ての構造的な問題?

子どもにとって自立するという課題は
その子にとって人生最大の課題であり、
社会全体にとっても極めて重要な課題です。

でも、日本の教育は社会に通用する、自立させるようにできていない。

一人ひとりの教師や親の努力では
どうにもならないほどのズレが生じてしまっている。

その犠牲になるのは子どもである。

五教科主義、点数主義の教育で、この何十年かの受験戦争にさらされた世代は、
自己愛的で利己的で、共感性の乏しい世代に育てられてしまいました。

技術で勝ってビジネスで負けるという事態の背景には、
日本を衰えさせている根本的な問題、つまり、
チーム力や人間力の低下がある。
「子どもが自立できる教育 岡田尊司 」より

引きこもりが100万人以上になってしまったのも、
そういうことなのかもしれません。

日本の若者のうち、「自分自身に満足している」者の割合は45.8%

自己肯定感
日本人の自己肯定感

内閣府「子ども・若者白書」より
https://www8.cao.go.jp/youth/whitepaper/h26honpen/tokushu_02.html

「自分の将来に希望を持っている」割合は61.6%、
「40歳になったときに幸せになっている」と思う割合は66.2%で、
いずれも諸外国の中で日本が最も低い。
年代が高くなるほど、その傾向が顕著である。

生まれつき自己肯定感が低い赤ちゃんはいないのに、
なぜこんな風になってしまったのでしょうか?

私は、日本人の自己肯定感が低いのは
教育をはじめとする構造的な問題があると思いました。


子育て(就学前)


フィンランドと日本での子育てを経験された 岩竹美加子さんは

フィンランドの教育はなぜ世界一なのか 岩竹美加子

「フィンランドの教育はなぜ世界一なのか」の中で

「フィンランドではベビーカーを押していると
バスや電車の運賃が無料。何も言わなくても
いつも近くにいる人がさっと手を貸してくれる。

⁡90年代は大型のベビーカーが使われていたが、
どこへ行っても嫌がる人はおらず、外出は楽だった」

「東京に戻ると、ベビーカーを折り
たたまなければ迷惑行為だった」と述べています。
(たしかに混み合う電車では、みんな余裕がないですね。)

また、フィンランドでは⁡
「保育園で運動会などのイベントはなく、
ママ友 を無理に作ろうとしないし、
親のつきあいに関するストレスはとても少なかった」

日本では「毎日のお弁当作り(日本のお弁当文化はレベルが高い)、
昼寝用の布団カバーと掛け布団カバーを縫う必要があり、
毎週金曜日に持ち帰って洗濯、月曜日に持って行って
カバーをかけるなど親がやる事が多く忙しかった」

日本のお母さんって本当に忙しくて、
世界一睡眠時間が少なくなるはずですね。
都内では保育園に入るのも競争ですしね。

睡眠時間が少なかったら(ショートスリーパーでない限り)
健康じゃなくなるし、健康的に考えられなくなるし、
自己肯定感も低くなるし、

お母さんの自己肯定感が低いまま、
子どもの自己肯定感を高めるのは難しいでしょう?!

たぶん小さなお子さんがいらっしゃる
ワーキングマザーが一番忙しいと思うのですが、

日本は、共働きが増えているにもかかわらず、
夫婦間での役割分担が欧米ほど進んでいないし、
男性の残業が多いのも要因の一つではないでしょうか?

子育て(就学後)

日本では「公立小学校でもランドセル、上履き、
体操服、水着、紅白帽子、絵具、習字道具、
ハーモニカ、鍵盤ハーモニカなどを購入し、
給食費、学級費、PTA会費、教材費、
実習材料費、遠足費などの諸費用があり、
鉛筆1本に至るまですべての持ち物に名前を書いたり、
30センチの物差しを入れる袋を作って欲しいとも言われた」
⁡⁡
⁡フィンランドはランドセルや新しい服など
高価な買い物は不要。教育費は無償なので、
経済的、精神的にも楽だったそう。

教科書や教材は学校に置いていくので、
小さな子どもが、毎日重いカバンを
背に通学する必要はない。

入学式、始業式、終業式、修学旅行、
謝恩会などの学校行事はない。
運動会はスポーツデーとして大きな
競技場でたまに行われる程度だが、
普通親は行かない。(日本ではビデオの場所取りで早朝から並ぶとか・・・)


服装や髪型に関する校則も制服もない。
部活も教員の長時間労働もない。
趣味の活動は学校の外で行う。

フィンランドの教科書検定制度は
1990年代初めに廃止され、授業時間は少なく、
学力テストも塾も偏差値もない。
統一テストは高校卒業時だけ。

それでも⁡2000年代以降 PISA(15歳児童の学習到達度国際比較)で
読解力や科学的リテラシーなどにおいて1位を獲得
し、
世界一の教育と日本でも注目されるようになった。

高等教育と自立について

一斉卒業、一斉就職という仕組みもない。
結婚していない 事実婚 も多く、
戸籍 はなく、入籍という考えもない。

1994年の法律改正で婚姻関係にある
カップルの強姦も犯罪になった。

教科書には性暴力被害にあった時の対処の仕方と、
支援を受けられる機関名が挙げられている。

1980年代はエイズが同性愛による性病と報道されたが、
フィンランドでは1981年に同性愛が合法化された。

日本での 道徳 は子どもの権利と国家の義務は教えず、
「進んで義務を果たす」ことだけを求める⁡が、
道徳教育の強化はいじめ対策として適切でないという報告もあるそう。

フィンランドでは学校の大人にはいじめに介入する義務があり、
いじめられる側にも、いじめる側にも助けと支援を受ける権利がある。
いじめは法的な問題であり、法に基づく
処罰もありうる事として認識されている。

いじめの問題も、愛すること、共に生きることなどの人間関係は、
学ぶことのできるスキルとして捉えられていて啓蒙主義的である。


ことなかれ主義の日本とは大違いですね。

フィンランドの教育が目指すものは…


【子ども一人ひとりが自分を発展させ、
 自分らしく成長していくこと。

 いかに学ぶかを学ぶこと、創造的、批判的
 思考を身につけ、自分自身の考えを持つこと、
 アクティブな良識ある市民として成長すること】


自分の権利を知ることは自己肯定感を高める。
また、他人にも同じ権利があることを知り、
それを尊重することが義務になる。

さらに権利が侵された時、それを
不当なことと感じる能力も育つ。

フィンランドの教育では国家と親にも
義務があることを教えている。

政治参加をするためには、まず自分の権利と義務を知り、
批判的に考え、何ができるのか、
どう参加するのか等を知っている必要がある。

市民に知識を得る能力や動機、可能性がない場合、
民主主義は単なる選挙権の行使に終わってしまう。

養育と教育が、批判的に考える市民を育てることを可能にする。
それは、民主主義を進める基本である。


国家が組織的なプロパガンダを行う全体主義的な国では、
国民は国家のイデオロギーに従順であるように育てられる。

そうした国では、批判的な国民は社会的危険、
国家制度を揺るがす存在と見なされるので、
自分で考える能力を発達させる価値は認められない。
⁡(今の日本そのものですね)

そうした能力を持つ市民は、国家や権威を
批判、抵抗することもあるかもしれませんが、

さまざまな議論が行われる事が、
民主主義 を持続、必要な修正を行いながら
発展させていく基盤になる。


政治への入り口は近く、問題について議論する
文化があり、行政への参加と影響を及ぼすこと
が奨励され、デモやストライキは普通。
(そこでもディスカッションが行われる)

北欧は税金が高いと言われるが、税金の
不正使用や不透明な流用が少ない。


払った税金は、国が平等で無償の教育を提供する
(貧富、性別、宗教、年齢、居住地、民族、
性的指向などの違いによって差別されない)など
さまざまな社会的サービスに還元されている。

男性には兵役義務があり⁡ (女性は任意)、
シビルサービス(兵役の代替)を選ぶことも可能。

著者の息子さんは
「嫌がらせやしごきのようなこともあり、
軍隊にいた時は嫌だったが、振り返ると
通過儀礼のようなもので
今は行って良かったと言える」と語っていた。


対して日本の教育は?

教育の公的負担がOECD(経済協力開発機構)
の加盟国38カ国中最下位(2018年の調査)。

国は教育に責任を持たず、親が責任を持つという考えのようです。
荷が重い…そして親が投資しても、

今の日本の教育は社会に通用する自立させるようにできていない。

子どもが自立できる教育

岡田尊司さんの「子どもが自立できる教育」では、
視覚空間型・聴覚言語型・視覚言語型では
特性が全く違い
、一律で画一的な教育は、しばしば
牛乳アレルギーの子にも牛乳を飲ませるようなところがあった。

空を飛ぶ鳥に走る練習ばかりさせても
「労多くして益少なし」
その子のもつ特性を最大限に伸ばす機会を
どの子にも与えることこそが、
本当の機会平等、真の平等。

主体性の強い人間は、人と違うことをすることが多くなり、
どうしても一斉授業を窮屈に感じてしまう。

だからと言って、私は日本の教育が全て悪いとは思いませんが、
徴兵制がないから、学校が軍隊の代わりになっていたのだと思いました。

同じ制服、体操服、通学靴、上靴、運動靴を身に着けさせられ、
日本には今も根強く、みんなと同じでないと不安で、
枠から外れた者を白眼視し、
異質な者をすぐに排除しようとする傾向がある。

いじめなどの背景にも、そうした
日本的体質が関係している。
(それが犯罪の抑止につながっているかもしれませんが)

日本は法律は浸透していないが、
中央集権的で全体主義への距離がとても近い。
日本で国家は人と並んで共にあるのではなく、人の上にある。

だから法律がなくて強制させられなくても
勝手に自粛してくれる(苦笑)

自分が苦しいかどうか関係なく、
暑くてもマスクをして、死亡事故まで…。

若者の方が自分で考えていると思うのですが、
教育が良くなったのでしょうか?
テレビを見ないことが幸いしているのでしょうか。

でも、子どもは大人が守ってあげる必要があります。

教育の成果は10年後、20年後に現れる。
そのとき、「しまった」と思ってからではもう手遅れ。

脳がまだ発展途上で、可塑性に富んでいた時間はもう取り戻せない。
その貴重な時間を子どもが自立できるように使う必要がある。

教師が主導し、それに服従する生徒がよい生徒である
という意識が強い日本では、
生徒の主体性は口先では称揚しつつも、

態度や深層心理ではうっとうしがられるところがある。
(たぶん先生にも余裕がないのだと思う)

主体性とは、そもそも自分で考えて行動する
ということであり、必然的に人と違うことをすることなのです。

今や優れた企業は組織の多様性を高めることに神経を配っている。
それが淘汰されずに生き残るチャンスを増やすから。

教師や親が一つの基準を子どもに押しつけようとすると、
よい子は育てられても、時代の変化を乗り切れる、
真に有為な人物は育たない。

では、どうしたら良いか?

親のせいとか、国の教育が…といっても変わらないです。

「こうありたい」という理想があるのなら、

まずは今の自分に気づくこと。
気づかないと対処のしようがありません。
気づけなければ、学びに行くのも良いでしょう。

私は今まで読書をすることで、視野を広げてきました。
(テレビや新聞はスポンサーありき、なので偏ります)

今まで与えられてきた情報とは別の
新しい物の見方、考え方を構築していく。
これは意識的にしないとできません。

なぜなら、無料のテレビを見ている方が楽だから。

フィンランドの教育の本に
ウェルビーイングについても書かれていましたが、

体も同じです

自分の体の癖、生活習慣の癖に気づかないと変えられません。

何十年も自分の体、脳で行ってきたことを
変えるには時間が必要でしょう。

最初は意識してもできないことを
意識したらできるところまで繰り返し、
無意識でできるまで・・・


私も旅の途中です(笑)

あなたはどんな自分でありたいですか?

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